2024.3.19(火)卒業式

日常
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3/19(火)

子どもの小学校の卒業式があった。 子どもは12歳だ。生まれてから12年だ。

いまから12年間前は2012年。 この12年で、自分は何をしていただろう。何か変わっただろうか。 実感としては、変化が無かったような気がする。おそらく何かしら変化はあっただろう が、 実感がなく感じてしまう。よく言われることとして、覚えることが減ったことでもある だろう。 何もないはずはない。何かあったはずであり、おぼえていないだけなのだ。

だが、子どもは変化の連続の12年だったはずだ。日数にして約4300日。 こう考えると、よく頑張ってくれたと思う。 まわりの人たちへも感謝だ。 子どもは、過去の出来事をきれいに忘れている。これはこれでびっくりだ。 6年前のことでもだ。自分は覚えているが、子どもは覚えていない。 あんなに毎日のように幼稚園の先生の名前を連呼していたのだが、忘れている。自分は 覚えているのだが。。 だが、忘れないと、これから将来未来に向けて覚えていくこともできないことも確かだ 。

話は戻るが、生まれてから12年。子どもの人生の半分時に、幼稚園の卒業と、翌月に 小学校の入学。 すべてが新しいことの連続である。これほど忙しい毎日は無いのではないだろうか。 すべてが新しいことへの感動を感じることができることがどんなに幸せかどうか。 とてもうらやましい。忙しい毎日ではあるだろうが、それはそれで楽しいことだろう。 子どもの年齢のころに、自分は何をしていたか、よく考えるようになっている。 子どもが学校でしてきたテスト結果を見る。自分と比べるのである。 教科書など見るととても充実してそうに見える。全体的に楽しそうな雰囲気の教科書や 教材という感じだ。 もちろん、約40年前に比べてだ。 このようなことを、ここ最近ダラダラと考えていた。もうすぐ卒業式だなと。 そしてその日は訪れた。 以外にも、卒業式時のカメラ撮影OKとのことだ。 個人情報がうるさいこの時代ではあるが、この点に関しては、学校側は理解を示してく れていた。

3/19(火)

雨が降っていない。これだけでありがたい。 子どもは普段着ない服をきて、自宅を出る。 5年生以下は、自宅学習である。子どもは、友だちと待ち合わせして一緒に学校に行く みたいだ。 いろんな思い出をかみしめているのか、ただピクニック気分なのかは別だが。 8時45分 学校まで歩いて行った。すぐだ。保護者受付が始まった。卒業式が行われる体育館の保護者のスペースに向かう。

卒業生入場が9時30分のため、それまでそわそわして待つ。子どもたちの周りに、植木鉢が並ぶ。花が咲いている。子どもたちの未来へ向かっての成長を表現しているかのようだ。

時間が近づくにつれて、静かになる。そして時間になった。

「卒業生が入場します。大きな拍手で迎えましょう!」

約130人が入場する。そして、こどもを発見する。入学式もここを歩いたと思うと、子どもが成長しているのがすごい伝わった。みんな平等に成長している。

卒業式は進行通り進む。国家斉唱、校歌斉唱、そして、卒業証書授与。

生徒が1人1人壇上に向かい、卒業証書を受け取る。子どもも受け取った。見事でした(´;ω;`) 約50分続く。約130人のため、みんな疲れたろう。

そして、児童からの「別れの言葉」。あらかじめ子どもたちが、元気よく思い出を一言ずつ語る。そして、歌を歌ってくれた。「道」

いい歌だ。クラスごとにパートが分かれていた。

来賓あいさつの後、卒業式が終わった。その後、卒業生が退場していきます。

この一連の様子をカメラに収めることができたのは、よかった。退場後、6年生担当の教員のコメントがあった。

みんな一生懸命でした。修学旅行も頑張ってました。運動会も頑張ってました・・・

その後、しばらく待機後、保護者は体育館を後にして、子どもたちと写真撮影する。

児童みんながハッピーな気持ちで卒業を終えたかというと、そうでない子たちもいるだろう。

物事はすべてきれいとは限らない。子どもたちなりに、人間社会の嫌な面も見てきたことだろう。小学生によくある いじめ なども。これが原因で、将来の成長に大きく影響するところでもある。健やかに笑顔で育ってほしい。

子どもたちは常に成長し続ける。生き続ける限り、成長し続けたい。この卒業式は、一つの節目であるだけである。これからも明るい未来に向けて羽ばたいてほしい。

小さいころは、お年寄りの言葉と思っていたが、いま、そのお年寄りの年齢になって、なんの抵抗もなく言えるようになったということは、自分も年を重ねたということだろうか。

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